昔々、ある中国の偉い人がこう言いました。
「隗(かい)より始めよ」
おいおい、「かい」って誰だよ。
と思ったそこのあなた。正しい。
知らなくて大丈夫。私も大学時代は「ググるより寝たい」派だったので、気持ちは痛いほどわかります。
というわけで、ざっくり解説すると――
「理想を語る前に、自分から始めようよ」という言葉です。
つまり、「子どもに本を読ませたいなら、まず親が本を読む」とか、
「YouTubeをやめさせたいなら、まず親がYouTubeを閉じる」とか、
「ゲーム時間を制限したいなら、まず親がInstagramを…」
あ、それは無理か。すみません。
さて、本題に入ります。
私はこの“隗より始めよ”をこう言い換えたい。
「諦より始めよ」(あきらめより はじめよ)by 熱血受験コーチ杉山熱志
「諦める」とは、すなわち“見切る”ことである
一般に「諦める」って、なんとなくマイナスなイメージですよね。
「あの子はもうダメだと思ってるんです…」
「もう期待するのをやめました…」
でも、ここでひとつ。
仏教的には「諦める=明らめる」なんです。
つまり、こう。
- 「この子は“5分で宿題を終える天才”じゃない」
- 「口で言っても“部屋は片付かないタイプ”」
- 「漢字ドリルをやったふりしてるの、バレバレだけど可愛いなあもう」
そう、事実を明らかにする。
それが、杉山理論――
「諦より始めよ」です。
期待しない、でも諦めない
たとえば、保護者面談でよくあるこのパターン。
「この子、もうちょっとやればできるんですけどね…」
いや、それ、全保護者が言ってるから!!!
わかる。親だもの。信じたいよね。
でも、一度“やればできる”幻想から自由になりませんか?
本当に必要なのは――
「この子は“やるまでが大変”という特徴がある」
と、明らかにすること。
そしたら、「やらせ方」や「やる気スイッチ」を探す旅に出られる。
“無限に期待”して無限にガッカリするより、
明らかにして、具体的なアクションに変えるほうが、ずっと建設的。
「でも、うちの子は本当にやればできるんです」
それ、もう魔法の呪文ですよ。呪いの言葉。
でも、もし「やればできる」で3年何も変わってなかったら、
それは「やれない」のではなく「やらない」のでもなく、
「やるまでが異常に面倒な人種」
かもしれません。
だったら、“やらせ方”をデザインする。
“やる時間”を確保する。
“やったら褒める”環境を作る。
🎯まとめ:子育ては「諦より始めよ」
- 隗より始めよ=まず自分から始めよ
- 杉山理論:諦より始めよ=明らかにして始めよ
- 期待しないけど、可能性は捨てない
- うまくいかないのは、性格じゃなくて構造の問題
- “諦め”から始まる子育ては、前向きで、強くて、優しい
そして最後に、声を大にして言いたい。
子どもは、理想で育つんじゃない。愛と忍耐で育つんです。
“明らかにしてから始める”――
それが、NiCO塾流の子育てパートナーシップです。
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#勉強も子育てもデザインだ