「ご注文お決まりですか?」
その日、俺はココスでハンバーグを前に悩んでいた。
なぜって、最近の俺は“親の顔”をしているからだ。
……といっても、実の子じゃない。
俺の塾に通う中学生たちのことである。
彼らに「勉強しろ」と言うと、言われた瞬間から顔が曇る。まるでココスで「サラダバーはどうですか?」と聞かれた時のような顔である。
なぜ人は、「やれ」と言われると、こんなにもやる気を失うのか。
◆ すべての親御さんに問いたい、今まで「やれ」と言われて本気でやったことあるのか?
これまでの人生で「やれ」って言われて一生懸命にやったことあるか?
ないだろ。俺もない。
読書感想文、自由研究、卒業アルバムの寄せ書き。
「やれ」って言われてやったものに、情熱のかけらも宿っていなかった。
つまり——
恐怖や強制では、人は本気になれないのだ。
◆ 人は「納得する」か「好きになる」か、どちらかでしか頑張れない
思い返してみてほしい。
あの時、死ぬ気でやったことってなんだった?
ゲーム?
部活?
恋愛?
全部、「やりたい」か「やるべきだ」と自分で思ったことだけだろ?
そう、人は好きになるか、納得するかのどちらかじゃないと火がつかない。
◆ 子育ては「仕向ける」ことに全力を注げ
じゃあ、どうすんだって話だ。
答えはひとつ——
仕向ける。
「勉強しろ」じゃなくて、
「この問題、面白くね?」って言ってみる。
「塾行きなさい」じゃなくて、
「塾の先生、マリオカートめっちゃ強いらしいよ」って言ってみる。
ここで、「操ってるみたいで嫌だ」と思ったあなた。
その感覚、素晴らしい。
でも、あえて言わせてほしい。
子育ては操ることではない。仕向けることだ。
◆ それでも、思い通りにならないのが子育てである
……ってここまで語っておいてなんだが、
それでも、子は言うことを聞かない。
えぇ、言います。
「意味わかんねーし」とか言ってTikTokに逃げます。
仕向けようが、納得させようが、うんまいパスタを食わせようが、うまくいかないことがある。
だから、俺たちは肝に銘じなければいけない。
子育ては、報われないことが前提の“愛のギャンブル”なのだと。
でもね。
それでも「勉強って楽しいかも」って目が輝いた瞬間に、
「塾行ってくる!」って玄関を飛び出した背中に、
俺たちはすべてを報われた気持ちになる。
だから今日も俺は言う。
「勉強しろ」とは言わない。
ただ、「この世界、けっこう面白いぞ」と、背中で伝えようと思う。
それが、俺の「親」の顔である。