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2025年11月20日 | すぎやまブログ

叔父さんとオジサン

壬申の乱を教えているときのことだ。
俺は家系図を指さしながら、生徒たちに説明していた。

「天智天皇の弟・大海人皇子と、
 天智天皇の息子・大友皇子が後継争いで戦ったんだよ。
 ……これ、冷静に見たらすごくないか?
 お前ら、叔父さんと命かけて戦えるか?」


どうだ、これ絶対ウケるやつだろ、と自信満々で放った一言だ。
案の定、9割の生徒は笑ってくれた。
よし、今日の俺は調子がいいぞ、と。

・・・

ところがだ。
ひとりだけ無表情の子がいた。

“笑わない”というより、完全に置いていかれている顔をしていた。


俺は焦った。
その子に向かって畳みかけるように話をかぶせていった。

「毎年お年玉をくれていた叔父さんを、
 君は本当に倒せるのか!?
 どうなんだ!!」

そこそこ強めに攻めた。
笑わせたい一心で、俺も必死だ。


だが……ダメだった。
石仏のような無表情のまま微動だにしない。

その瞬間、俺の胸にある疑念がよぎった。


もしかして、この子……“叔父”という言葉を知らんのでは?

さらに悪い予感が走った。
「叔父さん=中年男性=オジサン」
という認識になっている可能性。

そこで俺は、恐る恐る聞いた。

「……もしかしてだけど、
 君には“叔父さん”はいないのか?」

返ってきた表情は、完全なるポカーン

これは確定だな、と思った。


次に質問を変えた。

「じゃあ、君のお父さんには兄弟はいる?」

すると、その子は初めて表情を和らげて、
元気よくこう答えた。

「はい! います!」

――よかった、希望の光。

俺は優しく伝えた。

「それが……叔父だ。」

こうして俺は、壬申の乱の授業をしていたはずが、
気づけば“叔父”という日本語の解説をする授業
をしていた。


この子を責めたいわけではない。
もちろん家庭を責めたいわけでもない。

むしろ逆だ。

こういう基本的な語彙が抜けてしまうのは“家庭環境の質”が決定的に影響する。

家でどれだけ言葉に触れたか。
家族の会話がどれだけ豊かか。
大人との関わりがどれだけあったか。

学力の土台というのは、
こうした“生活の中の語彙”でつくられている。

そして塾や学校は、その延長線上にあるだけだ。

だから俺は保護者の方に伝えたい。

勉強を教える前に、
日々の生活の中で言葉を育てることが何より大切です。

家族の会話、
身内の呼び名、
社会の仕組み、
誰かの働き。

こういう当たり前の言葉が“当たり前でなくなっている子”が増えてきている。

だからこそ、
塾も家庭も二人三脚で子どもを育てる必要がある。

俺たちが授業で語彙を補い、
家庭が生活の中で言葉を育てる。

これが最高の教育だ。


あの日笑えなかったあの子は悪くない。
叔父を知らないのも罪ではない。

だが、知らないままにしておくのはもったいない。
知らないまま大人になるのは、もっともったいない。

だから俺は教える。
そして保護者の皆さんには、
日々の生活で言葉を育ててほしい。

子どもの学力の“根っこ”は、
家の中で育つからだ。


……と、ここまで偉そうに語っているが、
今回の件で一つだけハッキリわかったことがある。

俺、話、ヘタなんじゃね?

9割が笑ってくれたから調子に乗ったけど、
あの無表情の1人を前にして、
全力で畳みかけても一ミリも刺さらず、
最終的に“叔父の定義”を説明し始める始末。

壬申の乱からまさかの日本語講座へ。

これが残念ながら俺の今の実力だ。

だからこそ今日も俺は思う。

話術も教育も、毎日が発展途上。
今日も俺は話術を鍛える。
そして明日も懲りずに笑いを取りにいく。