壬申の乱を教えているときのことだ。
俺は家系図を指さしながら、生徒たちに説明していた。
「天智天皇の弟・大海人皇子と、
天智天皇の息子・大友皇子が後継争いで戦ったんだよ。
……これ、冷静に見たらすごくないか?
お前ら、叔父さんと命かけて戦えるか?」
どうだ、これ絶対ウケるやつだろ、と自信満々で放った一言だ。
案の定、9割の生徒は笑ってくれた。
よし、今日の俺は調子がいいぞ、と。
・・・
ところがだ。
ひとりだけ無表情の子がいた。
“笑わない”というより、完全に置いていかれている顔をしていた。
俺は焦った。
その子に向かって畳みかけるように話をかぶせていった。
「毎年お年玉をくれていた叔父さんを、
君は本当に倒せるのか!?
どうなんだ!!」
そこそこ強めに攻めた。
笑わせたい一心で、俺も必死だ。
だが……ダメだった。
石仏のような無表情のまま微動だにしない。
その瞬間、俺の胸にある疑念がよぎった。
もしかして、この子……“叔父”という言葉を知らんのでは?
さらに悪い予感が走った。
「叔父さん=中年男性=オジサン」
という認識になっている可能性。
そこで俺は、恐る恐る聞いた。
「……もしかしてだけど、
君には“叔父さん”はいないのか?」
返ってきた表情は、完全なるポカーン。
これは確定だな、と思った。
次に質問を変えた。
「じゃあ、君のお父さんには兄弟はいる?」
すると、その子は初めて表情を和らげて、
元気よくこう答えた。
「はい! います!」
――よかった、希望の光。
俺は優しく伝えた。
「それが……叔父だ。」
こうして俺は、壬申の乱の授業をしていたはずが、
気づけば“叔父”という日本語の解説をする授業をしていた。
この子を責めたいわけではない。
もちろん家庭を責めたいわけでもない。
むしろ逆だ。
こういう基本的な語彙が抜けてしまうのは“家庭環境の質”が決定的に影響する。
家でどれだけ言葉に触れたか。
家族の会話がどれだけ豊かか。
大人との関わりがどれだけあったか。
学力の土台というのは、
こうした“生活の中の語彙”でつくられている。
そして塾や学校は、その延長線上にあるだけだ。
だから俺は保護者の方に伝えたい。
勉強を教える前に、
日々の生活の中で言葉を育てることが何より大切です。
家族の会話、
身内の呼び名、
社会の仕組み、
誰かの働き。
こういう当たり前の言葉が“当たり前でなくなっている子”が増えてきている。
だからこそ、
塾も家庭も二人三脚で子どもを育てる必要がある。
俺たちが授業で語彙を補い、
家庭が生活の中で言葉を育てる。
これが最高の教育だ。
あの日笑えなかったあの子は悪くない。
叔父を知らないのも罪ではない。
だが、知らないままにしておくのはもったいない。
知らないまま大人になるのは、もっともったいない。
だから俺は教える。
そして保護者の皆さんには、
日々の生活で言葉を育ててほしい。
子どもの学力の“根っこ”は、
家の中で育つからだ。
……と、ここまで偉そうに語っているが、
今回の件で一つだけハッキリわかったことがある。
俺、話、ヘタなんじゃね?
9割が笑ってくれたから調子に乗ったけど、
あの無表情の1人を前にして、
全力で畳みかけても一ミリも刺さらず、
最終的に“叔父の定義”を説明し始める始末。
壬申の乱からまさかの日本語講座へ。
これが残念ながら俺の今の実力だ。
だからこそ今日も俺は思う。
話術も教育も、毎日が発展途上。
今日も俺は話術を鍛える。
そして明日も懲りずに笑いを取りにいく。




