ある朝、自習室に入ると、ある男子高校生が呟いていた。
「“あはれなる人を見ては、心とまりぬ。”……いや誰?誰の話???」
彼はまるでいきなりX(旧Twitter)のリプ欄から会話を読まされてる人のようだった。
ちなみに私も初見ではそう思った。
「心とまる?何に?交通事故?」
さて、古文というやつは、“主語をはっきり書かない”という悪癖をお持ちである。
これは例えるなら、LINEの会話で名前が非表示みたいなもんだ。
たとえば、こんな古文がある。
「藤原の道長、内裏に参り給ひて、帝の御前にて申し上ぐ。」
ほうほう。で、誰がどうしたんだい?
現代語訳はこうなる。
「藤原の道長が、内裏(天皇の家)に行って、帝の前で話した」
つまり
道長:御所行きまーす → 天皇:ふむ → 道長:よろしくどーぞ → 天皇:ふむふむ
この流れを、彼らは助詞を省きまくりながらエモく書いてくる。
だから古文を読むときの最重要スキルはこうだ。
🎯“誰が、何をして、どうなったか”を追いかけろ!
これは古文の基本にして究極。
- 「この“言ふ”って誰が言ってるの?」
- 「この“泣く”は誰が泣いてるの?」
――これがわかれば、点は取れる。
むしろ、それ以外わからなくても点は取れる。
で、ここからが重要なんですが、
「“いとをかし”って何?」
という質問を受けたとき、どう返すか。
私はこう言います。
☕️「いとをかし」は、“セブンのスイーツが美味すぎた瞬間の表情”だ!
例えば――
放課後、セブンに立ち寄って、
「とろ生カスタードプリン」を買って、
ひとくち食べた瞬間に言う「……これ、神じゃん」。
それが「いとをかし」である。
だが、これを古文ではこう表現する。
「乳菓を口に含みて、『いとをかし』と申す」
たったこれだけで、感動のすべてを表現する。
それが平安時代であり、それが古文だ。
とはいえ、最初からエモさで攻めるのは危険だ。
なぜなら、「“いとをかし”=“鬼エモ”」を、感覚だけで理解できる高校生がいたら、
その子はたぶん西暦3025年から来た“感情AI付き古文解析ロボット”である。
【まとめ】古文が読めない理由は、9割「誰が言ってるか不明」
だからまずは
- 主語を見つける
- 述語とペアにする
- それを繰り返す
これだけで、「霧の中の古文」から、「道が見える古文」に変わる。
最後にひとつ、心に刻んでくれ。
古文は、登場人物の動きを“ストーカーのように”追いかけるゲームである。
「誰が、どこに行って、何をしたか?」
この感覚を持って読む。それだけで、世界は変わる。
ではまた。「さるべき御気色」にご注意を。