「俺、起業して世界を変えるっす」
目を輝かせた高校生がそう言った。
——無知って、すげぇな。
いや、ディスってるんじゃない。
本気で感心してる。
だって俺が同じことを考えたら、「資本金は?ビジネスモデルは?そもそも世界を変える、の定義って何だっけ」って、脳内に“中小企業診断士”が召喚されて思考が止まる。
でも無知な少年は、そんなの関係ねぇ。ワンチャン世界変えられると思ってる。
その純粋さ、頼もしさ、爆発的推進力。
——そう、無知ってのは、時にとんでもない力を持ってる。
だけど。
無知は、時に人を地獄に突き落とす。
夢は大きい方がいい?
うん、いいと思う。
でもな。
スタート地点が“福岡県福岡市”なのに、いきなり「エベレスト登る」って言い出したら、飛行機の手配をし始める時点でこうなる。
「……あれ?オレ、なんでエベレスト登りたいんだっけ?」
そして、登山をやめる。というか飛行機すら取らない。
それがダメなんだ。
夢を語るなって言ってるんじゃない。
“夢の語り方”が問題なんだ。
俺は見てきた。
小さな目標からスタートして、
「中1の英語で80点取る」とか
「模試で数学の偏差値55以上」とか
地味〜〜〜な目標を設定していたやつが、
気がついたら、言ってた。
「俺、医学部に行って医者になりたいです」
——出た!でっかい夢!
でもこの夢には“根”がある。きっと元々ずっと考えていたことなんだけど本当にできるかわからないから表面化してなかったんだと思う。
「実際にやってみた」「成功体験がある」「登り方を知ってる」
だから、この夢には力がある。実現の可能性がある。
目標ってのは、階段なんだよ。
いきなり最上階にワープなんて、無理。
エレベーターなんて、壊れてる。
だから、一段ずつ登るしかない。
最初は地味だ。
むしろ、誰も褒めてくれない。
「そのレベルの夢、言う必要ある?」って言われる。
でもいいんだ。
一段登って、次の段差が見えてくる。
「まだ行ける」「もっと行ける」
その繰り返しが、でっかい夢を現実に変える。
夢を否定するつもりはない。
ただ——
「現在地も自分の所持品も知らずに、夢だけ見るな。」
夢を見るなら、地図を持て。
目標を立てるなら、階段を描け。
俺たちは、人生という山を登ってる。
最初の一歩が、次の一歩をつくる。
その一歩がなければ、夢は夢のまま。
そして夢に殺されて終わる。
でも、もしキミが小さな目標を一つクリアしたとき。
——そのとき、キミの足元には確かに一段。
未来につながる“階段”が、そこにある。