──俺がまだ、選挙権という「ちっちゃいけど重たい剣」を手に入れたばかりの頃。
「俺の一票ごときで何が変わるんですか」と、思ってた。
今考えれば、無知だったのもある。でも、もっと言えば“無知ゆえの遠慮”だったのかもしれない。
なんか、選挙って競馬みたいに感じたんだよね。
「あの馬が勝つか?こっちか?」
「うーん、実績的にはコレか?いやでも人気はこっち……」
そんな目線でしか候補者を見れてなかった。
でも俺、ギャンブルってあんまり好きじゃない。
いや、誤解を招かないように言っておくと、たまにはやる。
競馬場の馬の匂いを嗅ぎながら、ビール片手に「3連複全ツ!」とか言って叫ぶのは、それはそれでアリだ。
でも、真剣にはやらない。
なぜか?
不確定要素が多すぎるからだ。
データをどれだけ集めても、最終的に「運」ってやつがデカすぎる。
しかも胴元(つまり運営側)が必ず勝つようになってる。
そんな不公平なゲーム、なんでみんな喜んで参加するの?と疑問だった。
で、俺は選挙も同じように見てた。
情報集めても不透明な部分が多い。
「言ってたことと、やってること違うじゃん?」ってパターン、何度も見てるし。
「じゃあ俺の一票、責任持てなくない?」
そう思って、俺は学生時代、ほとんど投票に行かなかった。
──でも、それは変わった。
社会人になって、確定申告をするようになった。
税金や社会保険の仕組みが、“ふわっとしてた世界”から“生活直撃パンチ”に進化した。
「なるほど、これは俺の話だったのか」と。
選挙が“他人のこと”じゃなく、“俺の財布の話”だと気づいてから、投票に行くようになった。
でもね、そこで思ったんだ。
「完璧な判断はできなくても、やれることはある」って。
俺たちがやるべきことはシンプルだ。
- 候補者が“何を言ったか”を記録する。
- その後“どうなったか”を観察する。
それだけで、いい。
「あいつ、あれ言ってたけど結局実現しなかったよね」
「あいつ、あの公約ちゃんと守ったじゃん」
それを言える自分になっておく。
細かい政策の中身や法律の知識は、少しずつでいい。
それよりも、「観察者」としてのスタンスを持ち続けることが大事。
そう、選挙はギャンブルじゃない。
定点観測なんだ。
そしてその一票は、社会の体温を測る体温計でもあるし、
政治家たちにプレッシャーをかける小さな声のバズーカでもある。
あなたの一票は小さく見えて、意外と目立つ。
なぜなら、「見てる人がいる」ってだけで、人は変わるから。
だからこそ言いたい。
今日の選挙、候補者が何を言ってるか、ちゃんと見よう。
そして数年後、「あいつ、ちゃんとやったよな」って言える自分であろう。