人間が「文明の利器」によって幸福度を上げる瞬間って、何だと思う?
エアコン? 炊飯器? 洗濯乾燥機? いやいや。
俺はね、こう思うのよ。
「ワイヤレスイヤホン」こそ、文明の最高傑作である、と。
何って、コードがないのよ。
あの“耳から首元に垂れ下がって、たまにタコの足みたいに絡まる例のやつ”が存在しないだけで、こんなにもストレスがないとは。
しかも音質もいい。接続も一瞬。バッテリーもそこそこ保つ。
……って話をすると、たまに「いや、音質は有線の方が」とか言い出す“オーディオのマウントおじさん”、少し黙ってて。今、ワイヤレス派おじさん代表の俺の感動のターンだから。
つまり、ワイヤレスイヤホンとはこういう存在である。
- 散歩が「冒険」に変わる。
- 掃除が「ライブ」に変わる。
- そして、駅までの5分間が「TEDトーク」に変わる。
これはもう、人間の知覚をスーパー拡張してくれる耳のUSBポートと言っても過言ではないのだ。
※過言ではあるけど言わせてくれ。
しかし――
先週、俺はそのイヤホンを なくした。
しかも、買ったばかりの新品である。
某Panasonicのアクティブノイズキャンセリングつきのアレである。
なくしたその瞬間、俺の心の中には「ポキッ」という音が聞こえた。
……あれは完全に心の骨が折れた音だった。
3日間、俺は自分を責め続けた。
「なんでケースに戻さなかったんだ……」
「なんで酔っ払ったまま眠りについたんだ……」
「なんで“探すアプリ”で位置が更新されないんだパナソニィィィィック……!」
もはやイヤホンというより、感情の一部を失ったかのようだった。
だが、人間とは適応の化け物である。
4日目くらいから、少しずつ「イヤホンのない生活」に慣れてきた。
そして、ある日――
俺は、風の音に気づいた。
木々のざわめき。鳥のさえずり。子どもが自転車の補助輪を外して喜ぶ声。
コンビニで「いらっしゃいませ〜」と声をかけてくれる店員さん。
今まで俺は、全部シャットアウトしていたのだ。
自分の耳に、ずっと“防音壁”をつけていた。
それは快適だった。間違いなく、快適だった。
だが、快適さの裏側には「世界との断絶」があったのだ。
イヤホンを外すと、人と話せるようになる。
店員さんとちょっとした会話ができる。
道端で立ち話してるおばあちゃんの「今日の白菜安かったわね〜」って話が聞こえてくる。
そして思った。
「俺、白菜の相場を知らなかった」
……じゃなかった。
「人は、自然とつながることで満たされる生き物なんだ」
音楽もいい。YouTubeもいい。
でもそれらは、どこか“閉じられた幸せ”なのかもしれない。
今の俺は、「イヤホンがなくなって良かった」とまでは言わない。
でも、「イヤホンがない生活も、案外いいかもな」とは思えるようになった。
あ、でもやっぱり来月の給料入ったら買うけどな。新品のやつ。
だけど次からは、イヤホンを耳に挿す前に、ちょっとだけ空を見上げよう。
耳を澄ませてから音楽を聴こう。
風の音も、人の声も、全部まとめて愛せる人間になれたら――
俺はきっと、イヤホンなんかよりもずっと“いい音”を鳴らす人間になれる気がするのだ。
(でも、あのPanasonicのやつマジで高かったからマジで悲しい)