先に謝っておく。
この文章を書いている今、おっさん(=俺)は、両膝までラノベ沼に沈んでいる。ザブン。
もう片足どころか、全身で沈んでいる。
きっかけは、ある方が教えてくれたNetflixのドラマ『グラスハート』だ。
「とりあえず1話だけ」と再生したのに、気づいたら最終話のエンドロールで冷めた味噌汁をすすっていた。誰だ、1話だけって言ったやつ。紛れも無い、俺だ。
結論ね、俳優ってマジですごい。
なにがすごいって、彼ら、2年前から練習を始めてガチでライブしてるんですよ。え、ドラマで? ライブ? いや、ライブだった。カメラ回ってるのに音も魂も外してない。むしろ逆に、こっちの鼓膜が外れそうだった。
ここで一度、私の小さな自慢を挟ませてほしい。
私も2年前から柔術をやっている。道着の紐は秒で結べるし、帯の端っこをピロピロさせずに歩ける。
でも――余裕でドラマは撮れん。
「カット! じゃあ三角絞めで感情の揺れを表現してくださーい」
無理。そんな演出聞いたことない。
しかも彼ら、演技しながら演奏してるのよ。
人類の脳って、歩きスマホだけでも難易度Sなのに、演技×演奏で二刀流?
俺なんて「ビールを取りに冷蔵庫に行く」だけのシーンでも、目的地に着いたころには“なぜ来たか”を忘れて戻る名役者だよ。日常の迷子、主演・私。
極めつけは、主演が佐藤健さん。しかも主演兼プロデューサー。
聞けば、7年前から映像化したいと考え、3年前から準備していたという。いや、執念の火力どうなってるの。結果数百人、数千人を集めてドラマを作成しているから。
そして、その執念の結晶がたった10話で完結する。
ここで俺はテレビの前で正座した。凝縮の暴力。雑味ゼロ。スープだけ飲ませてくるラーメン屋みたいな潔さ。
普通なら「好評につき続編決定!」って、薄めて薄めて10話×シーズン5くらいまで引き伸ばすじゃないですか。
俺ならやる。絞れるだけ搾り取る。ミルクティーの“ミルク感”が完全になくなるまで絞る。視聴者さん、ごめん。
でも『グラスハート』はギュッだ。
「ここから先は、あなたの心で続きが鳴るはず」とでも言いたげに、10話でドアを静かに閉める。バタン! じゃない。ス……だ。視聴者の胸にだけ余韻の爆音を残して。
で、私、おっさん。
この10話を浴びながら気づいた。自分の時間の粒度が、めっちゃ粗いってことに。
日単位で慌て、週単位で焦り、月末で反省会を開き、翌月の2週目で月末の反省を忘れる。
そういう人生を、年輪の縞々だけ増やしながら続けてきた。
それに比べて、彼らは年単位で一点を磨き、秒単位で心を撃ち抜く準備をしていた。
2年前から練習、7年越しの企画、3年の仕込み、10話の凝縮。
この“時間の使い方の美学”が、スクリーン越しに首根っこを掴んでくる。
「お前も、5年単位、10年単位でやってみろよ」と。
本気で思った。
“濃い10話”は、“長い準備”からしか生まれない。
一夜漬けの名場面も、スキマ時間の天才も、いるにはいる。だけど、多くの凡人(私含む)は、長くやるから深くなるし、深くしたから短くできる。
だからこそ俺は、塾生や保護者の方に伝えたい。
「一夜で未来は決まらない。準備がこそ未来を決める」
ここから1年、5年、10年かけて磨いた先に、凝縮された勝負が待っている。
それは中高生にとっては「入試」であり、俺にとっては「塾の仕事」だ。
――もし我が子がテスト勉強で心折れそうになったら、ぜひ思い出してください。
『グラスハート』は、ラノベから始まり、7年越しにドラマになった。
一夜漬けでは生まれない光景が、あそこにあった。
だから俺たち大人も、子どもも、5年単位・10年単位で仕込む生き方を選んでいこう。
ドラマを見るおっさんは、自分の人生や生徒の人生をプロデュースするおっさんでもありたい。