俺は元来、いい加減な人間である。
財布の中はレシートでパンパンだし、冷蔵庫の奥からはいつのかわからないキュウリが化石になって出てくる。
しかし――殊、勉強に関してはあらゆる雑さを許さない。
例えば、雑な印刷…許さない。
プリントの端に黒い影?
印刷が微妙に斜め?
ホッチキスが妙な位置で留まってる?
全部、却下だ。
なぜなら、俺はプリントを配るとき、ただの紙を渡しているつもりはない。
そこに魂を宿しているつもりだからだ。
「いや、そんな枝葉のことどうでもよくないですか?」
たまにそう言う人がいる。
わかる。
いや、わからない。
いや、一切共感できない。
枝葉を軽んじるやつは、幹も腐らせる。
プリント一枚を丁寧に作れないやつが、生徒の成績を伸ばす細部にまで気を配れるわけがない。
俺にとって、印刷の斜めは戦闘前に剣を研がず戦場に行くようなものだ。
それはもう、負けに行ってる。
「神は細部に宿る」という言葉がある。
これは芸術家や建築家だけの言葉じゃない。
勉強も同じだ。
ノートの余白、線の引き方、解答欄の文字の揃え方――それらすべてが積み重なって、最終的な結果に反映される。
だから今日も、俺はプリントの一枚一枚をまっすぐに、影なく、ホッチキスの角度まで意識して作る。
生徒がその紙を手に取った瞬間、「あ、これ…本気だ」と感じてもらうために。
細部に神を宿すとは、そういうことだ。