これは俺が塾講師を始めてから、
47億回見た光景である。
生徒が机に向かう。
問題を解く。
赤ペンを用意する。
模範解答を見る。
…その瞬間、彼らの心の中で小さな修羅場が起きる。
(あれ……?なんか、俺の答えと違くね?)
(ああ、そうか、ここがちょっとズレてたのか……)
(よし……バレないように……シュッ……シュッシュッ……)
(はい!正解!)
お前は、
「正解製造マシーン」なのか。
違うだろう。
その「間違い」に向き合うために勉強してるんだろう。
なぜ消す。なぜ×をしない。なぜ誤魔化す。
お前の敵は、先生じゃない。
お前の敵は、親でも、クラスメートでもない。
“その瞬間にしか現れない、自分の弱さ”だ。
「できなかった」という履歴を
必死にシュッシュッと消して正解を書き込む姿は、
言うなれば――
痩せたフリをするために腹をへこませて写真を撮るようなものだ。
そりゃ、スッキリ見えるかもしれない。
だけど実際は、腹、出てるんだよ。
そして何より、俺は見ている。
いや、正確には、“気づいている”。
お前がこっそり答えを変えて丸をつけたとき、
俺はそれを指摘しない。
「それ、意味ないぞ」とも言わない。
ただ静かに心の中でつぶやく。
(それで成績上がると思ってんなら、甘いぞ)
俺は教師だ。
だが同時に、俺は観察者でもある。
“いつ気づくのか?”
それだけを、待っている。
「これ、意味ないな」
「俺、何やってんだろ」
そう思って、初めて本当の学びが始まる。
勉強とは、「できないことをできるようにする行為」だ。
つまり、間違いがなければ、そもそも勉強じゃない。
間違いを×して残すことは、自分の弱さを認めること。
でもその行為だけが、自分を強くする。
いいか、赤ペンは“正解を書く道具”じゃない。
赤ペンは“本当の自分に気づくためのペン”だ。
そして――
その本当の自分と向き合ったときにしか、
本当の成績アップは起きない。
だから今日も俺は言わない。
でも、君が気づくことを、誰よりも願っている。
君の手元にある、
そのシュッと消された消しゴムの跡は、
「自分と向き合う」チャンスを、自分で潰した証拠だ。
そして俺は、こう願っている。
“できなかった自分”を堂々と残せる君でありますように。