「先生あのね帳」って、覚えてるだろうか。
あれは、小学生たちが毎日つづるミニ日記で、
先生に提出すると、真っ赤なペンで愛が返ってくるという魔法のノートである。
当時、小学1年生だった杉山少年は、
その魔法のノートに、ほぼ呪詛を書き連ねていた。
「お母さんが怒った」
「お父さんがテレビばっかり」
「兄ちゃんたちがウザい」
たぶん、あの頃の俺の日記は、
“週刊・家庭への不満”だったと思う。
でも、そんな“あのね帳”の中に、
今でも一文字残らず覚えている日がある。
それが――「雨の日」の話だ。
あの日、俺はこんなふうに書いた。
「先生あのね。雨が嫌いです。なぜなら大好きなサッカーはできないし、外で遊ぶこともできなからです。」
今思えば、文句しか言ってない。
でも、ともしげ先生は違った。
全力の赤ペンで、こう返してくれた。
「先生は雨が好きです。だって、雨のあとって木がキラキラしてるでしょ?」
その言葉を見たとき、
杉山少年の脳内で何かが“バチン!”とはじけた。
世界が、変わった気がしたんだ。
「雨=嫌なもの」じゃなかった。
「雨=木が輝くための魔法」だった。
以来、俺は少しずつ、
“見えない価値”を信じられるようになった。
晴れの日も、雨の日も、
暑い日も、寒い日も。
それら全部が、誰かのための奇跡の一部なんだって。
ともしげ先生の赤ペンは、
俺の人生に一滴の色を足してくれた。
その一滴が、今では大きな絵になっている。
だから思う。
俺もなりたい。
誰かの“雨の意味”を変える存在に。
そう、君の人生にも、
いつか赤ペンで何かを書き添えるような――
そんな先生でありたい。
晴れの日も雨の日も雪の日も台風の日だって。すべての天気に、祝福あれ。
杉山少年の思い出1ってしたんで、またどこかで思い出話をしたいと思う。そうウザがらずにおっさんの昔話を聞いとくれよ。