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2025年11月1日 New! | すぎやまブログ

「やればできる」は本当か?

高校のときの英語の先生、奥西先生

 

今でもその名前をはっきり覚えている。

 

この先生の授業、マジで大学の文学部レベルだった。
高校生の俺たちには難しすぎて、クラス全員が順番に沈んでいった。
1時間目の授業なんて、全員、黒板を見ながら舟を漕いでた。
まるで「文学的睡眠」だ。

 

 

でも、ひとつだけみんなが急に目を覚ます瞬間があった。
それが――奥西先生の雑談タイム。

 

 

授業が進まない。
だけど雑談が始まると、全員ムクっと起き上がる。
「よし来た!」って顔で。

 

 

そしてその雑談の中で、俺はいまだに忘れられない言葉を聞いた。

奥西先生はニヤニヤしながらこう言った。

「君らは中学受験や高校受験で“やればできる”なんて言われて生きてきたかもしれないけど、
実は“やってもできない”人間かもしれませんよ。」

 

 

……いや、失礼だろ!笑

生徒に向かって「やってもできない」って、そんな先生聞いたことない。
でも不思議なことに、笑いながらも、胸の奥がズキッとした。

 

 

だってその当時、俺は“現実的にできない生徒”だったからだ。
テストは平均以下。
「次は本気出す」と言い続けて、2年が終わろうとしていた。

 

 

本当はわかってた。
俺は「本気出してないからできない」って言い訳してただけ。

 

 

でも、もしも――
“本気出してもできない人間”だったら?

その日から、俺は自分に実験を始めた。

「俺は本気を出したらできる人間なのか。
それとも、やってもできない人間なのか。」

 

 

とりあえず、やってみようと思った。
だって確かめずに“やればできる”なんて言い続けるの、ダサいじゃん。

 

 

それからの俺は、ちょっとずつ本気を出す練習を始めた。
朝早く起きて単語帳を開き、寝る前にノートを見返し、
「明日の俺が笑うための今日」を積み上げた。

 

 

結果?
最初は全然できなかった。
本気出しても、成果なんてすぐ出ない。
でも不思議なことに、半年くらいしたら“できるようになっていく自分”が見えてきた。

 

点数が伸びた瞬間よりも、「昨日の自分に勝った」と思えた瞬間のほうが嬉しかった。

 

 

あのとき奥西先生が言ってくれた「やってもできないかもしれない」という一言。

 

 

あれは、俺たちを傷つけるためじゃなくて、目を覚まさせるための言葉だったんだと思う。

 

 

だって、“やればできる”って信じたまま何もしないより、
“やってもできないかもしれない”って疑いながら本気を出すほうが、
ずっと人生は前に進むから。

 

 

だから今、受験を控える生徒たちにも伝えたい。

 

 

「やればできる」は、半分ウソで半分ホントだ。

 

 

本気でやって、できないかもしれない。
でも、本気でやらなきゃ“できるかどうか”さえ分からない。

 

 

――結局、“やればできるか”を決めるのは、やった人間だけなんだよ。