ある日スマホに通知が来た。4年前の卒業生からだ。
「ブラジルから帰ってきました。挨拶に行きたいんですけど、会えますか?」
……ブラジル!?
地球儀で一番遠いところにあるあのブラジル!?
俺は思わずスマホを持ったまま世界地図を開いてしまった。(こういう時、Google Mapは距離感を全く教えてくれない)
しかも、この生徒に俺がしたことといえば――
1年前、留学用エッセイの添削をほんの少し手伝っただけ。
言うなれば、彼の留学人生の中で俺が関わった時間は「駅で偶然会ったおばちゃんに道を聞かれるくらい」の短さだ。
当日、彼はお土産を持ってきた。
袋から出てきたのは二種類のコーヒー。
左が高級品。右が現地の人が毎日飲むやつ。
俺はセブンイレブンのコーヒーを毎日飲むくらいにはコーヒーにうるさい。
このコーヒーは俺の審査員魂を揺さぶった。
挨拶はそこそこに、焼き鳥屋へ。
そして始まったのは、俺が想像するより100倍サバイバルなリオデジャネイロ話。
最初の2週間、ブラジルのポルトガル語が全くわからず帰りたくなった話。
(方言レベルじゃなく、ポルトガル本国のポルトガル語と文法まで違うらしい)
その後、たくさんのブラジル人に助けられて、ポルトガル語ペラペラに。
でも安心してはいけない。
外でスマホを持って歩くのは、自分の命を賭けたロシアンルーレット。
リオのカーニバル本番の時が一番治安が悪くなるらしく、毎日大使館から注意喚起のメールが来る。(またカーニバルは本番よりもリハーサルが熱いらしい)
そして街には3つのギャングがいて、大麻のシマ争いで常に抗争中。
銃声がBGMのように流れる日常。
極みつきは「日本人に見られない歩き方」実演。
現地の人と同じくらい貧相な服を着て、薬物中毒者風にフラフラ歩く。
……笑いすぎてビールを吹いた。
最後に、彼は将来の夢を語ってくれた。
その瞬間、俺は思った。
俺の仕事の最高なところの一つは、卒業生がこうして会いに来て、俺の知らない世界を見せてくれることだ。
それがくだらない話でも、崇高な話でも、俺は心の底から共感できる。
なぜなら、生徒が見る世界は――俺が見る世界だからだ。
だから、今いる生徒たちにも俺の持てるものを全部渡そうと思う。
そして、俺の代わりに、いろんな世界を見てきてほしい。
そして今朝――俺はあのブラジルコーヒーを淹れた。
まず高級品から。
香りだけで南米の熱い乾いた空気が鼻腔に広がる。うまい。完敗だ。
続いて「現地の人が飲むやつ」。
……なるほど、これは強い。強すぎる。
喉を通った瞬間、目の前にサンバ隊とギャングとサッカー少年が同時に現れた。
俺は震える手でマグカップを置いた。
ブラジルの人、聞こえますか――俺、今、完全にそっちにトリップしてます。