定期テストの結果が返ってくる。
英語68点。
数学59点。
理科72点。
……家庭科、98点。
(※そこ!?)
点数を見て、君はこう思うだろう。
「まあ、前よりはマシじゃね?」
「てかこの先生、採点キビしくね?」
「今回は部活忙しかったし」
「いや〜でも家庭科はガチったわ」
でも、君がそんなふうにひとりで“採点反省会”をしているその頃――
キッチンの奥で、無言で食器を洗っているお母さんがいる。
リビングで新聞を読みながら、
「あいつ、勉強してるんか…?」と2日に1回くらい思っているお父さんがいる。
親っていうのは不思議な生き物でね、
「なにも言わないとき」が、実は一番いろいろ思ってるときなんだよ。
たとえば、君が小1のとき。
初めてランドセルを背負った君を見て、
「うちの子、もう勉強する年になったんだな…」って、目の奥がウルっとしたお母さん。
君が九九を覚えられず泣いてたとき、
「いっしょに練習しよう!」って、風呂場で“九九シート”を貼ったお父さん。
そのふたりが、いまも家で“君の人生”を案じながら、
黙ってご飯を作り、洗濯をし、学費を払い、たまにブチギレてる。
でも、それは全部――願いなんだ。
「この子には、自分の足で生きていけるようになってほしい」
「嫌なことにも向き合える強さを持ってほしい」
「人の役に立てる人間になってほしい」
君が、
「うざい」「なんか言われるのダルい」
と思っているその言葉の裏には、“願い”という名前の愛がこっそり詰まってる。
だからさ、
定期テストの点数を見て、「どうせ怒られるわ」と思ったら、ちょっとだけ深呼吸してみてほしい。
怒りの正体は、「心配」だ。
口うるささの正体は、「応援」だ。
それでも、どうしても親とケンカになりそうなら、こう言えばいい。
「うちの塾の先生が“まずはプロセスを見てほしい”って言ってたんだ」
そう、うまく俺のせいにしておいてください。
保護者対応まで含めてが、俺の仕事ですから。
……ただし。
そんな偉そうな口を聞くなら、
お前の“プロセス”、ちゃんとしとけよ?
深夜1時からの「YouTubeという名の勉強」は、プロセスじゃなくて“ただの現実逃避”だ。
人生って、
自分ひとりで歩いてるようで、
実はたくさんの「見えない願い」に支えられている。
それに気づけたとき、人はちょっとだけ優しくなれる。
自分にも、他人にも、そして――親にも。
さあ、今日も机に向かおう。
「自分のために」って思えなくてもいい。
「誰かの願いに応えるために」でもいいじゃないか。
じゃ、また自習室で会おうぜ。
そのノートに書かれた一文字一文字が、
誰かの願いに、静かに応える詩(ポエム)になるように。