ある日、教室で生徒に言いました。
「提出物、出してね」
誰も出しませんでした。
翌日、少しだけ声に熱を込めて言いました。
「マジで出せ。これは今後の人生の訓練だと思って、出してくれ」
2人が出しました。
そのまた次の日、全身からオーラを放ちながら言いました。
「この1枚を期限までに出すか出さないかが、今後の人生で“任された仕事をやり切る人間”になれるかどうかの分かれ道なんだ!!!頼む!出してくれ!」
全員出しました。
……。
なんなん、この世界。
同じ言葉でも、“熱量”で世界は変わる。
これ、先生やってる人ならみんな分かると思うんですけど、
毎年毎年、何百回同じこと言うか選手権があったら、
全員優勝するんじゃないかってぐらい言います。
「宿題出してね」
「ワークの答え丸写しじゃダメだよ」
「テスト勉強、ちゃんと計画立ててね」
で、やっぱ出てきますよね。
「いや、それこの前も言ったやん」っていう愚痴。
でもね、ふと思うんですよ。
“この前の言い方”、本当に響いてた?って。
言葉は、熱があると“刃”にも“光”にもなる
「がんばれよ」
って言葉も、
冷たく言えば「おい、勝手に期待すんなや」ってなるし、
本気で言えば「うわ、あの先生マジで信じてくれてんだな…」ってなる。
言葉って、温度があるんです。
毎日言葉を使う職業=先生&親
これ、たぶんお父さんお母さんも一緒だと思うんです。
「何回言ったらわかるのよ!」
「また忘れてる!」
「ちゃんとしなさい!」
いやもう本当、修行か。
これは日常という名の“感情コントロール道場”か。
でも、それでも。
それでもやっぱり、
伝わるまで、言い方を変えてでも届けようとする姿勢こそが、“愛”なんですよね。
子どもに浴びせたいのは、“正論”じゃなく“熱のある言葉”
たとえば「ありがとう」も、「がんばったね」も、
声に出して、温度を込めて言えば、
子どもはちゃんと受け取ってくれる。
ただの励ましが、その子の一生を変える“呪文”になることだってある。
だから私は、今日も言います。
同じ言葉でも、
100回目の「がんばれ」が、1回目よりも強く届くこともある。
最後に、世の全ての先生と親御さんへ。
言葉にエネルギーを込めましょう。
疲れていても、報われなくても、伝わらなくても。
それが、“人を育てる”ってことなんだと思います。
心が折れそうな夜は、この言葉をそっと心に置いてください。
「伝わるまで言う、それが本当のコミュニケーションだ」
子どもたちには、
正しいだけじゃない、あたたかくて、まっすぐな言葉を浴びせていこう。
それが、僕らの“しごと”ですから。